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自由になりたい学生の雑記ブログ

不平等と自己責任

 人生報われないなと思う事が多々ある。

というか,良い思いをしたことがあまりないかもしれない。

 

自分はあまり運に恵まれてこなかった。

 

そんなことを言うと,

「責任を外部に押し付けているといつまでも被害者意識から抜け出せないよ!」

と言われる。

しかし,残念ながら責任が外部にあって自分ではどうしようもないことも多い。

「いや,そんなこと言ったってどうしようもないことだってあるのよ。」

なんて言っても彼らには通用しない。我々とは世界が違うのだ。

彼らは優秀すぎるのだ。劣等生の自分とは違う。

 

 最近親ガチャというものが話題になった。

大分下火になったとはいえ,毒親育ちCOをしやすい環境になるには十分な時間であったと思う。そして,毒親育ちの人間がいるということを世間一般の幸福な人々が知るにも十分な環境になった。しかし,残念ながらその相互理解に進展があったとは言い難かった。

 

「んで,自分の責任を親に押し付けたいだけでしょ?甘えるな」

 

これが世間一般の声なのだなというのを実感した。我々は理解されない。

だから,自分達で自分達の身と心を守るしかない。社会から,親から。

 

 そこにあるのは”理解されないかもしれない”という恐怖と孤独感。

 

 皆がそう思っているのかはわからないが,自分はいつも不平等感を抱えて生きている。

そりゃそうだ。誰だって挫折しかなければ荒んでいくし,ひねくれる。

 

実際心理学の実験で,2匹の猿のうち,一匹のみ報酬を与え続けたら,貰えなかった方の猿は怒り狂ったというものがある。

 

我々だってそうだろう。

 

話がそれるが,小室圭が今でもバッシングされるのは,こういった不平等感が国民に蔓延っているからではないだろうかなんて思う事もある。

 

しかし,世の中それさえ許してはくれないから,そんな自分を認めるのも自分しかいない。

 

だが,そもそも自分を認めることが出来たら我々はこんなに苦労していない。

 

自分を認めることには自己肯定感が必要であって,残念ながらそんなもの与えられた記憶も手に入れた記憶もない。

 

 不平等も自己責任のうちというのが社会通念である今の世の中は親ガチャ,人生運ゲーなんて現象へ理解の浸透は早すぎたのかもしれない。

来世は環境ガチャ当たるといいな。