強制に対する適応力がなければ社会で生きていけない。
学校でそういう風に教育されている以上,きっとそうだろうし,就活でいきなりみんなおんなじ恰好をしだすあたりからもそれは納得だ。
個性なんてない方が社会では生きていきやすい。
残念ながら,個性を持ってしまった皆さんはおとなしく箱に収まる訓練をしましょう。
それが駄目なら,もう変人として生きていきましょう。
就活の風景はそんな暗号を含んでいるように思えてならない。
ー目次ー
少し自分語り
といいつつ残念ながら僕は強制が大嫌いだ。
ずーっと「あなたのため」という強制が自身を支配してきたから,
そしてそれでろくなことにならなかったから。
「最初は嫌だったけれど,やって正解でした!」
なんて思ったことは残念ながら一度もない。
高校の選択科目で音楽を強制された。
退屈で仕方なかったうえ,色々トラブルがあったこともあって息抜きが学校でできずに登校する気力を失った。
部活の継続を強制されて,不登校も許されずに精神を病んだ。
現に親にやらされている教職課程だって嫌で嫌で仕方がない。
やる気もないので最低限。90分の無駄でしかない。
教育実習はどうするのかって?
流石にそんな人間が来るのは申し訳なさすぎるからそれを編入やら早期卒業やらでどうにか回避しようとしている。
どうしようもなくなった場合には流石にやる気のあるふりはする。
ただもう同窓会には顔を出せないし,地元も去らねばならない。
二度と地元には顔を出さない覚悟でいる。
残念ながら,教職課程の強制だけでなく職業まで強制してくる。
職業の強制あるある一位の公務員だ。
公務員になれという圧力に歯向かったら生活費を人質に喧嘩になる。
流石に今はもう,明確に言うことはないが…
現在でもことある事に教員教員と言い,教員になれという無言の圧力をかけてくる。
喧嘩になるのでそれを知らないふりをしている。
どうせ生活費や学費を人質に言う事を聞かせるのだから。
それだったら喧嘩を吹っ掛けないで鈍感なふりをしていた方良い。
親に勧められた職は全て対象から除外するレベルにまで徹底している。
それくらいには強制が嫌いだ。
そもそも,その大抵の強制には根拠と言うものが存在しない。
あってそれは所謂”あなたの為”という非常に抽象的なものでしかない。
でも,年上だから,親だから,結局従わざるを得ない。一体誰の人生なのか。
強制と上手く生きていくには
散々言っておいてあれなのだが,
それでも社会には”義務”と言うものが存在している。
そうである以上完璧に自分の思い通りに動くことは出来ない。
どこかしらに強制はついて回る。
「自分のやりたくないことと如何に向き合うか」
は今後生きていく上で必ずと言っていい程考えなければならない問題であるだろう。
具体的な処理方法として4つ挙げられる。
①耐える精神力を身に着ける
②全て無視する
③回避に奔走する
④メリットを維持でも生み出して楽しむようにする
世間で推奨されているのは④だが,個人的には③がお勧め。
④はあくもでも気持ちの切り替えでしかない
自分のやりたいことを如何にやるかには着目していないからだ。
強制ばかり降ってきて,自分のやりたいことが出来ないとなったら,それこそ精神を病んでしまう。それだったら,意地でも抜け穴を見つけて抜け出すのに奔走するのがよっぽど健全に生きる道なのだろうと思う。
それが出来ないものだけ,4を使えばいい。
なにも真面目に全部無理に楽しもうとするのは精神をすり減らす。
”強制”よりも”対話”
なんでもかんでも強制強制で済ませると,人は無気力になるらしい。
教育ママの下に生まれた僕の知人は無気力になってしまった。
僕もそうなるのが怖くて,きつい目標で自分を苦しめないと生きていけなくなった。
ちなみに言うと,学校でも家庭でもあんまりにも規則遵守を一語一句徹底,破れば怒鳴り散らされる世界にいたせいでゲームセンターもカラオケも行けない。未だにだ。
強制ではない適正な教育だと言う人も多いだろうが,
そもそも後遺症が残ってる時点で適正もクソもあるか
というのが僕の意見だ。
強制よりも,対話による合意形成(勿論強者が人質を取るような姑息な手段は使わないことが前提である)のほうが余程健全であるし,信頼も生まれる。
よっぽどその方が良いと思うのだが,強制の方が楽だからこちらの方が採用されるのだろう。
こんなものがあったら対等ではないよね!