「大学生は暇だ!人生の夏休みだ」
なんて仰るおじさまおばさまは多い。
教授たちも「あの頃はもっと緩かった」なんて話をするから,きっと夏休みだったんだ。
だから,親は特に
「あれをやりなさい!」
「これをやりなさい!」
なんて言ってくる。きっと暇だと思っているからだ。
暇だから,これくらいやらせないとと思うのだと思う。
でも,本当にそうなのだろうか?
現役大学生がその実態について,色々語っていく。
ー目次ー
- 1:「大学生は暇だ」の誤解
- 2:大学が人生の夏休みという誤解
- 3:おねがいだから,自分達の時と同じだと思わないで
- 4:勿論有益な体験談というのも存在する
- 5:結局大学生が暇かどうかは人それぞれ,でも実態は変化している?
1:「大学生は暇だ」の誤解
よく言われる。「大学生は暇だ!」と。
残念ながら,そんなことはない。
そもそも何故暇であったかというのは,色々と大学という機関が緩かったからだと思う。
一昔前はコピペや代行なんてものもOK(推奨されるものではないが)だったらしいが,現在は停学処分ものである。
今,暇と言っている大学生は多分学校の授業をそんなに真面目にやってないのではなかろうか。突き詰めていけば文系であっても,サークルやバイトすらやる時間がないどころかブラック企業のような生活になってしまう。
現に私がそうである。
恐らく一昔前までの元大学生はそこを把握していないのではなかろうか。
だから,仮面浪人と授業が完璧に両立できるものだと思っているし,あれやれこれやれと言ってくる。
状況を理解していないにも関わらず,”どうせ暇である”という認識の下でごちゃごちゃ言ってくるのであるから,闇雲に従っていると病みそうである。
2:大学が人生の夏休みという誤解
「大学生は人生の夏休みだから遊んでおけ」という大人がいる。
そんな時間もねぇよと突っ込みたくなる。
そんな大人たちにそそのかされてクソ程勉強した結果,
遊び惚けの大学生活なんてものは幻想にすぎないというのがわかった時はちょっと絶望する。
そのうえ,最近は就活が3年生から始まるのでそこに備えた対策もしていかなければならない。それが所謂ガクチカというものである。
やりたいことや熱中したことを探す以前に,
やらなきゃいけないことと,
ガクチカの為にやっておいた方がよさそうなこと
で4年間終わりそうだ。
おえーーーーー
まとめると,ちょっとずつやらないと大変なことになる宿題があるという面で行けば,夏休みなのかもしれないが,
そもそも遊び惚ける時間もない
ので,夏休みかと言われたら首をかしげる。
3:おねがいだから,自分達の時と同じだと思わないで
人間は伝聞したことよりも,自身の経験を重要視する。
「自分の時はこうだった。」
が今でもずーっと続いてると思い込んでる人もいる。
背景を見ずに,目の前の若輩者しかみないから,
彼らが出来ないことを能力の所為にしたりする。
そして大半はそんなことにも気が付かない。
というか気が付いていたら偉そうに講釈を垂れないと思う。
4:勿論有益な体験談というのも存在する
勿論有益なお話というものも存在する。
基本的に上記の講釈と何が違うのかと言うと,
「体験であると言う事を断っている」
というのがあるのかなと感じる。
話し方、書き方に”あくまでも,自分はこうしたよ”というのがひしひしと伝わってくる。
自身の体験=本質
として捉えているのではなく,あくまでも
自身の体験は体験に過ぎない
という部分をすごく強調しているのではないだろうか。
簡潔に言い換えると,謙虚。
自分も仮面や大学生活のこと,資格とか就職とか仕事とかそういうのに対して偉そうに講釈を垂れないようにしなければなと思う日々である。
5:結局大学生が暇かどうかは人それぞれ,でも実態は変化している?
「時間がない!」というのを強調してきたが,
みんながみんなそうというわけではない。
部活やアルバイトに邁進している子も沢山いる。
結局何を優先するかという所の違いでしかないのだと思う。
”暇そうに見える”というのも赤の他人の評価でしかなくて,本人は忙しいのかもしれない。
結局本当の事なんてわからないのだ。
アンケートをとって平均値を割り出したところで,目の前にいる本人の状態がわかるわけではない。
人は真に客観的にはなれない。
自身の認知に穴があると言う事を前提として,
常に情報を更新する意識
相手の話も聞く寛容さ
そして
基本的人権は最低限守ろうという遵法精神
で生きていけば,はなまるなんだと僕は思う。