今日ずーっとトレンドに入っている「大学の授業」というワード。
それは以下の記事が話題となっている所以のようだ。
「仕事が楽しい」の本当の意味を教えよう | 雇用のカリスマが教える会社の「裏側」 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
本記事をざっくり要約すると,「働くのが楽しいと思う為に必要な要素は何であろうか」
というものです。
”大学の授業”と言うのはあくまでも問題提起でしかありません。
しかし,著者の認識があまりにリアルの意見と乖離しているのです。
だから,トレンド入りしたのですが,少し気になったので記事を全文読んでみました。
そしたら,もっと大きな日本の課題を見つけたような気がしたので,本日はそれについて話そうと思います。
ー目次ー
- 何故”大学の授業”が話題になったのか
- 当該発言から見えてくる”大学の授業無意味論”
- きっとみんながみんなそうじゃない
- そもそも大学生が社会人よりも楽だという偏見
- 求む!社会人大学生!
- 多様性の余白がないと窮屈になる
何故”大学の授業”が話題になったのか
先ほど”実態と筆者の体験が乖離している”と言ったがその乖離していると思われる部分を少し引用する。
今回は、「仕事の楽しさ」の正体について、説明していきたいと思います。
突然ですが、皆さんにひとつ質問があります。皆さんは、大学を卒業した後、就職する代わりに、普通の人が定年退職する65歳まで、仕事をするのと同じ時間、同じ曜日数、大学に通って授業を受けてくれと言われたらどうしますか? あ、もちろん授業料はなしです。そして、月々お給料として30万円差し上げます。
どうですか? 四十数年間、毎日ずっと大学で授業を受けたいと思いますか?
この質問、大学生だけではなく、社会人にも聞いてみているのですが、ほとんどの人が、困惑するか、答えに窮してしまいます。少なくても、「はいはい、やります」などと、大喜びで飛びつく人には、お目にかかったことがありません。
どうしてなんでしょうか?
要約すると,
”大学の授業を一限から五限まで授業を受けて,月に30万もらえたらあなたはその提案を受けますか”
という質問に
「やりたい!」と言った人はいないという事だそうです。
その返答として
「やりたいんだが」
「この条件なら喜んで授業受けさせていただきます」
「やらない理由が見当たらない」
といった感じで概ね肯定的な意見が殆どでした。
そりゃ仕事よりも,知的好奇心がそそられて,お金まで貰えるならそっち選びますよね!
当たり前っちゃ当たり前。
言うなれば,問題提起がちょっと雑というか,強引だったのかな…といったような印象があります。
折角後の内容はいいこと書いてるのに,ここだけが独り歩きしていてすごく勿体ないと思ってしまいますね。
当該発言から見えてくる”大学の授業無意味論”
この発言から,日本人に蔓延っている反学問主義の風潮が見えてきます。
本記事にも明示されていますが,”大学の授業がつまらない”という奴です。
人によっては”大学の授業は無意味だ!”なんて言ってしまう人も…
大学院生や研究者に対して”それ意味あるの?”と聞くあたりから,反学問主義のような,実務(実用)主義的な意識を感じています。
”金を出しているのだから,無駄なことをするな”というのは社会人として当然であることにはあるとはおもうのですが
このように実務(実用)主義が行き過ぎると返って
文化や技術の発展はなくなるように思うのです。
いつどこで何が役に立つかなんてわかりませんからね。
この過度な実務主義に関しては後の私に託すとして,私はこういった実務・実用主義,利益主義というのが,”大学の授業が無意味である,つまらない”と言う風潮を作りだしているのではないかという仮説を立てました。
どうしても,座学よりも実践した方が楽しいですし,充実感があるのは事実です。
なので多少はそう思うのも仕方がないと思います。
あくまでも,若者は
それを諭して,基礎や座学の大切さを教えていくのが社会人の役割ではないのでしょうか。
実務や実用といったものは
本来座学などの学問の上に成り立っているものであって
決してそれだけでは成り立たないものだと思うのです。
座学(学問)なくして実学なし
なのだと私は思います。
学問が備わっていない実務は
基礎工事をしていないで建築した家と同じです。
きっとみんながみんなそうじゃない
先ほどは暑苦しく語ってしまいました。
申し訳ないです🙇♂️🙇♂️
ここから,すこし学問の必要性から離れてこの記事の一番の問題点とも言える多様性の話をしましょう。
まず一つ,
働く動機,仕事が楽しいと思う人みんなが
「社会貢献の為!」なんて思っているはずがない。
仕事が楽しいと思う理由がみんな同じな訳がないんですよね。
「自分の好きなことだから」
「お金があるから」
「地位と名誉が手に入るから」
なんて人も必ずいるわけです。
もし,みんながみんな社会貢献と言っていたら,ロボットですよ…
当該記事では,あたかもみんながみんな「社会貢献!」が動機であって,だからこそ仕事が楽しいのだ!みたいな雰囲気醸し出していますが,そんなはずはないのです。
仕事の動機なんてなんでもよいはずです。
それにもかかわらず
そこを排除してしまっているという点が問題だなと思います。
そもそも大学生が社会人よりも楽だという偏見
これもまた,「こうである!」に該当しないケースを排除している要素であるとおもうのですが…
そもそも大学生が社会人よりも楽って偏見だと思うのですよ
ああいえばこういう理論ではありますが,看護学科や医学部の学生は楽ですか?
理工学部等の理系の学生は暇ですか?
文系の学生だからってみんながみんな楽で暇なんですか?
そんなはずはないですよ。
私自身は医療系の人間ではありませんが,看護系の人はオンライン,リアル関係なく
「実習の方が大変だった。」
と言います。
当記事はこういう風にも書いてありました。
「大学生は人間関係で悩まない」
いや,悩むからね
長年仲が良かった友人と価値観が合わなくなった
進路が決まらない
親が過干渉で辛い
副業が上手くいかない
等々
まぁ,全部自分の悩みですけどね!
社会人だけが大変だ!なんて思うなよ!!
みんな大変なんだ!
あなたも大変,私も大変。
比べらることは出来ずとも,お互いお疲れと言い合う
そんな社会になってくれたなぁぁ
と思う秋の夜です。
求む!社会人大学生!
偏見やイメージというものは人の意見を左右する結構重要な部分です。
きっと,この問題も
”大学生や大学教授等の大学にのみ所属している人”
と
”社会人として会社にのみ所属している人”
だけでの解決は無理でしょう。
だって,お互いのことを真の意味で知らないわけですから
偏見やイメージはどうしても入ってきてしまいます。
ここでいう真の意味というのは,実際に体験した上でその実情や実態をわかっているという意味です。
厳しいですねぇ…
そこで,最近話題になってきた社会人大学生がこの問題を解決してくれる!
そう私は信じています。
理由は単純明快
どっちもの実情を真の意味で知っているから
です。
ね?わかりやすいでしょ?
それに,彼らが一番「大学の授業も無駄じゃない,使える」というのを説得力付きで伝えられるでしょう。
弊校は社会人学生を歓迎していますので,社会人学生というのが割といらっしゃいます。
彼らが,忙しい中好成績を残しているのを知って
「自分も頑張ろう」
となっている人を何人も見ました
そうすれば,おのずと「積極的な参加」が望めますし,授業を受動的な受る人も減ってくるでしょう。
きっと,「授業がつまらない」なんて人も減るはずです。
お互いの歩み寄り,学生への影響も考えれば,社会人大学生はもっと増えて欲しいです。
今後に期待ですね!
多様性の余白がないと窮屈になる
記事から大分話が飛びました…
最後に記事を読んだ感想を述べようと思います。
なんだか少し窮屈だなぁと感じました。
恐らくですが…
”こうすべきだ!!”
”絶対にこうなんだ!”
といった雰囲気がひしひしと伝わってくるからでしょう。
文面だけで,著者が体育会系の人だ!とわかるレベルです。
(体育会系とはこうだ!というのもまた偏見ではありますが…)
偏見に満ち溢れていて,
”そうじゃない人もいる”という多様性を認める余白
が文面から感じ取れないのです。
だから窮屈にみえるんですよね。
こういった窮屈な記事にならないよう,私も意識して執筆したいものです。
多様性を意識した記事を書けるように精進致します!
まずは更新頻度を上げねばなりませんね💦💦