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自由になりたい学生の雑記ブログ

恋は盲目であり,宗教である ー恋によって皇室は破壊されたのかー

 先日眞子さまが30歳の誕生日をお迎えになられましたね。

これが,26日の会見は小室真子さんとして参加なされるので,お誕生日が皇族として最後のメディア露出となるでしょう。

なんだかお祝いムードではありませんがね。

 

親の反対,周りの反対を押し切っての結婚というものはみなを不幸にするということなのでしょうか。

なんとなく,想像の付くことですが,何故かみな繰り返してしまいますよね。

 

今回はそんなお話をしようと思っております。

 

ー目次ー

 

恋は盲目であり,そして宗教である

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 恋は罪悪であり神聖なものである。

 

これは,夏目漱石の「こころ」に出てくる先生の言葉です。

初めて読んだ高校生の時は理解が出来なかったのですが,今となってはよくわかります。

 

恋は全てを破壊する力を持ちます。

 

人生も,家族も,友人も,環境も全てを壊すほどの力を備えているのです。

 

今世で結ばれることの叶わなかった人々が心中をする。

 

結ばれる為に全てを捨てて,逃避行をする。

 

逆に捨てられて途方に暮れる人達。

 

愛した者の為に全てを犠牲にして全てを台無しにした人達

 

そこには合理性もリスク管理もあったものではないのです。

合理性という要素は彼らの評価基準には入っていない

 

では何故,人はこのような行動を取るのか。

まともな思考をしていたら,きっとこんな選択はしないはず。

 

それは恋というものが,当事者の視界を覆うことに起因するように思います。

 

言い換えると,恋というものはであり,

常に盲目になるというリスクを負うもの

と言えます。

 

そして,恋と似たようなものとして宗教が挙げられます。

宗教にも合理性はないですし,時として人を盲目にします。

 

多くの人が宗教ビジネスの餌食となりました。

 

家族が宗教に多額の金銭をつぎ込んだというのはよく聞く話ですね。

 

宗教にのめり込んで家庭を破壊させた話もよく聞きます。

 

時として,人の生命を奪うまでする人もいます。

 

そこに合理性は存在しません。

”合理性”と言う要素は評価対象にありません。

 

ね?恋と宗教って似ているでしょう?

 

恋と宗教の違いは

前者が世間から問題視されることがなく

後者はその逆であるというだけです。

 

逆にそれだけの違いしかないように思います。

 

恋は宗教であると言っても過言ではないでしょう。

 

恋の霧が晴れた時,そこにあるのは地獄か天国か

 「止まない雨はない」ように,恋の霧も永遠ではない

それが覚めるときは人によりけりでしょう。

 

時間の経過?

結婚?

出産?

何か問題があった時?

 

きっと色々なケースがあると思います。

でも,その日は必ず訪れます。

人によってはそれを 「倦怠期」とも呼びますし,「冷めた」とも言います。

 

恋の霧が晴れた時,

初めて自身の行ったことの評価が自然と見えてくるわけです。

 

その時,目の前に見えた風景こそが当人の行動の結果であり,

恋の霧が晴れた時に自身の行動が間違っていたのか,あっていたのかを

初めて知ることができるのです。

 

「正しいんだ」と思えれば良いのですが,「間違っていたんだ」という評価を下さざるを得ない場合になった時,時すでに遅しといった状況に陥っている場合も多々あるわけです。

 

全てが焼野原になった後に後悔したって遅いわけです。

そうなったとき,彼らはまた一から全てを築いていかなければならなくなるわけです。

 

「あの時こうしておけばよかった」

という十字架を背負いながら生きていくこととなるのがこの結末であると言えますね。

 

気付いている。ただ見たくないだけなのだ。

 

 霧の中にいても,全てが見えないという訳ではないように,

恋の霧もまた人を完全に盲目にすることはできません

 人によっては,「この関係が問題である」ということを自覚しているでしょう。

 

このままじゃいけない

変えなきゃいけない

 

頭では,理性では理解している人もいるでしょう。

でも,変えられないのは恐らく,”損切が出来ない”ことが理由です。

 

損切は勇気を伴います。

感情などの主観的要因が絡んでくると,余計勇気が必要です。

 

路線変更は過去の己の否定のように見えてしまいます。

 

過去の己が可哀想になってくるのです。

誰しも自身の否定は行いたくはないでしょう。

みんな自分が可愛いですから。

 

それに加えて,損切は人からプライドを奪います。

 

”大口をたたいておいてこのざま”とは誰も思われたくはないものです。

 

その臆病さプライドとが霧の中にかすかに見える害獣を見えなくさせてしまうのです。

 

恋は宗教である。しかし排除は正義か?

 

 恋は宗教であり,霧です。

 

そんなに悪影響があるのであれば,とっとと禁止してかつてのような見合い結婚主流に戻した方が良いでしょう。

 

しかし,そう一概に排除しうるものでもないのが厄介なところです。

 

確かに恋は全てを破壊する力を持ちますが,

問題はその破壊する対象であるでしょう。

 

破壊する対象が悪しきものであれば,それは善となりうるのです。

 

彼女がきっかけで難関大学に合格した。

 

なんてものは最たる例であるわけです。

 

これは宗教にも同じことが言えますね。

 

宗教だって一概に否定できるものではありません。

 

宗教によって救われた人

 

というのは世界中に大勢いるわけです。

 

結局恋も宗教も多くを破壊する程大きな力を持つだけであって,

それだけで一方的に悪であると決めつけられるものでもない

 

というのがわかりますね。

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まとめ

 ここまで,恋と宗教の類似点とこれらの危険性を述べてきました。

これは私自身の体験や世間の出来事をもとに生まれた自説のようなものです。

参考文献はありません。

多くの人が一度は恋愛で失敗したことがあるでしょう。

これが学生のうちであればまだよいのです。

大人が守ってくれますから。

しかし,これが社会人となると話が変わってきます。

社会人は法的にもある程度自由に出来るという所から,どうしても

自己責任の名のもとに保護されることが少なくなります。

引きこもり問題が良い例でしょう。

大人の引きこもりへの対策は最近こそ増えてきたものの今まで話題にもされていませんでした。

ですが,未成年の引きこもりは多くの支援があります。

これは,結婚や恋愛にも同様のことが言えますね。

年齢が上がるにつれて,失敗したときのダメージが大きくなるわけです。

そうやって考えると,未成年のうちに恋愛経験を積んでおくことって大事なのではないのでしょうか。

大人になってから恋愛をして,痛い目を見るよりはよっぽどマシなように思えます。

眞子様がどうなのかは私にはわかりません。

しかし,テレビ越しに彼女が濃霧の中にいるのはよくわかります。

彼女の周りの霧が晴れた時,そこにあるのが楽園である事を願うばかりです。

 

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