皆さんは”ルッキズム”という言葉をご存じでしょうか?
聞いたことがある方も多いかもしれませんね。
聞いたことがなくても,意味を知れば「知ってる!」と思うかもしれません。
社会の裏の部分に結構こびりついているこのルッキズム,知っておいて,考えておいて損はないと思います。
今回はルッキズムについて取り上げたいと思います。
ー目次ー
1:ルッキズムとは何か
”ルッキズム”とは
「人を容姿の美醜で評価し,美男美女とそれ以外を差別する考え方」のことで,別名を
外見至上主義とも言う。
具体的に言えば
「ブスに人権ない!」
とか
「ブスには何をやらせても駄目!」
なんてところだろうか。
割と2次元の世界だと多いけれど,ここまで露骨なルッキズムは三次元ではお目にかからない。
また,最近「低身長=人権がない」という発言をe-sportsチームの「CYCLOPS athlete gaming」がヘイトスピーチとして認定した声明を考えると,
ルッキズムがヘイトスピーチに該当する可能性は十分にあり得る。
☡:声明の詳しい内容はこちら
「たぬかな」選手との選手契約解除のお知らせ|ニュース|CYCLOPS athlete gaming -CAG-(サイクロプス アスリート ゲーミング) (cyclops-osaka.jp)
2:ルッキズムの何が問題なのか
流石にこのご時世表立って「何が問題なんだ!」とは言う馬鹿はいないだろう。
しかし,心のどこかではそう思っている人も少なからずいるのでは?
「差別されるべきだ!」とはいかなくても「ブスやデブは自己責任,言われて当たり前」位なら思っている人はいそう。
実際,そういう思考が前提になけりゃブスでいじめは起きませんよなぁと…。
確かに,美人は努力している。
体形維持や言葉遣い,似合うメイクやファッションの研究,仕草をはじめとした多くの事を意識し,さも当たり前かのように過ごさなければならないので,一般人よりもはるかに容姿や所作にリソースを割いていることに間違いはない。
間違いはないが,これを強制したらみんな鬱まっしぐらである。
実際、ルッキズムの勃興が拒食障害や容姿いじりの容認等々まぁなにかと多くの人間を自己否定の沼に突き落としてきたのは言うまでもない。
整形依存症の人に話を聞くと大抵幼少期に容姿関係で否定的なことを言われていたり,それでなくても容姿がすぐれないからと自信を喪失したりと多くの人(特に女性)の人生を狂わせてきたのも事実である。
今まで,当たり前として見過ごされてきた(?),何が原因かわからなかった(?)問題は案外ルッキズムが根底に隠れている。
3:近年行われている対策
今まで当たり前とか,個人の自己責任と言われて見過ごされてきたルッキズム。近年ようやく,「これよくないよ!」と言われるようになってきた。色々と対策もなされつつある。次はこれらを見ていこう。
痩せすぎモデルは活動禁止!?健康的にいきましょう。
2017年にフランスで「BMI(肥満度を表す指数)が低すぎるモデルの活動禁止」を法制度化した。以降はモデル活動をするにあたってBMIが標準である事を診断書によって証明する必要が生じることとなった。これに違反した企業にはきちんと罰則が科せられる辺り,徹底している。
これははルッキズムとはちょっと違ったかもしれない。ただ,ルッキズムの価値観に基づいた自己否定や追い込みによる最悪の結末を避けるという意味で行けば,ルッキズムの解消に貢献していると言えるだろう。
★参考文献
痩せすぎモデルの活動は禁止、ファッションの中心地フランスで法律施行 画像修正も... | ハフポスト NEWS (huffingtonpost.jp)
日本でも徐々にこの波が!?ミスソフィア廃止!
日本でも”容姿で判断することが本当に正しいのか?”と言う疑問は投げかけられている。それに伴いかつてはアナウンサーの登竜門であった各大学のミスコンも昔ほど注目されなくなってきている(ような気がする)。
またミスコンを容認しないと声明を出した大学や学生団体がミスコンに対して抗議をする等ミスコンの在り方が改めて問われ始めてきていると言えよう。そのなかで,上智大学は2020年からミスソフィアを廃止して男女両方参加可能な「ソフィアンズコンテスト」を開催している。この経緯にもやはり,ルッキズムへの問題視が内在しており,如何にして向き合っていくかを模索しているようだ。
ちなみに,ミスコンに代わってアナウンサーの登竜門となっているのはアナウンサースクールや大会だそうな。容姿端麗というよりは実力を問う方向にシフトチェンジした分,やっとまともになってきたのかもしれない。
★ソフィアンズコンテスト2021
Sophian's Contest 2021 | ソフィアンズコンテスト (mxcolle.com)
4:今後どうルッキズムと向き合っていくのだろう
このように,ルッキズムへの対策は徐々に始まっている。
ただ,やっぱりそれについてこれていない人が一定数いるのも事実。
とはいえ,段々そういう人が地位に関係なく非難されるようになってきたのは喜ばしいことと言える。
恐らく,これから先は
人に対して「ブス」と言うのもはばかられる時代になっていくのだろう。
その一方で我々人間も動物であって,容姿はライオンでいう鬣であり,孔雀で言う綺麗な羽であることも事実であって,受け入れなければならない部分ではある。
ルッキズムへの批判はある種その本能に抗う行為であるという側面はあるし,みながみな本能に抗うという選択肢を取るとも限らない。
そうなると,より一層”本音と”建て前”が乖離する可能性もないではないだろう。
強引に推し進めていけばそうなってしまう可能性の方が高いと思う。
”魅力は一概ではない”という価値観を広めることが,ルッキズムからの脱却にとって最善策なのではないか。
とはいえ,やはり風潮や価値観が変化するのをただ待っていては遅すぎるわけで,迅速なルッキズムの打破を目指すのであれば法整備はしたほうが良い気がする。