先週の記事の続きです。
個別に見てもわかるようにはしていますが,まぁ暇でしたら先週の分も見て頂けると幸いです。
★前回の記事はこちら
ー目次ー
1:前回のあらすじ
一旦ここで先週の記事のおさらいをしておこう。
①日本人は下剋上や大逆転が好きである
②それってもしかしたら,等価交換意識みたいなものが関係しているのかも?
③確かに,等価交換を”逆境と立ち向かったり,苦労した結果”として逆転したと
捉えると,お返しがきちんともらえてる方がいいのかもね
④でも,実態がお返しだとコツコツ頑張ってきた人はどうなるんだろう。
どっちかっていうと,努力⇒結果って債権や質権の考え方に近いかもよ?
ざっくり書くとこんな感じかな。
全然理論としては不完全だから,反論の余地はたっくさんある。
沢山あるけど,足りない頭で考えたのはこんな感じ。
2:日本人ってなんで下剋上が好きなの?(もっと具体化しよう編)
ここからは前回みたいな抽象的なものじゃなくてもっと具体化していこうと思う。
言い換えれば,もっと現実に歩み寄ろう!というもの。
前回は根幹かな?
2.1:真面目系クズにウケがいい!
所謂真面目系クズというのがいる。
一見真面目に見えるが,その実怠惰で口だけだったりする人である。
僕だ…(治します…)
いつぞやよく言われていた”意識高い系”という奴。
基本的に口だけは達者故,一見騙されるが基本的に怠惰な場合が多い。
よくよく見ると,大したことはしていない。
とはいえ,こういう人種にも不安はある。
「間に合うかな?」
「大丈夫かな?」
というやつである。(だったら努力しろというはなしだが…)
なんとなー--く間に合わないことは察してはいても,それを受け入れたくはない。
だから,なんとか今からでも間に合う!みたいな名分が欲しい。
こういう時にウケがいいのが下剋上系だ。
だって,下剋上と言われる程努力した期間が短いから。
「自分も間に合う!」
って思っちゃうんだと思う。
断片的な部分しか見ていないのにね…
と今なら思います…
2.2:階層なんてないんだ!と思いたい
残念ながら,資本主義は階層社会を生み出すもの。
そこの差を上手く埋めるのが社会法なり行政法の役目だが,
残念ながらその差は埋まる事を知らない。
機会の差,資本の差,教育の差…
何から何まで差があるのは目に見えている。
「努力したってかなわない」
と絶望しそうになる。
そこを上手く救ってくれるのが,下剋上だ。
”逆境があっても,頑張れば報われる,上層に行ける!”
そういう勇気を与えてくれるのが逆転劇である。
いわば,彼らは中流以下のヒーローなのだ。
(まぁ実際彼らは中流ではないが…)
3:下剋上の現実
ざっと見た感じこんなもんかな。
ここからは,まぁ調べれば大体わかることだけど下剋上ビジネスの裏側をつらつらと述べていこうと思う。
3.1:実際”どうしようもできない部分”はクリアしている
所謂”金”だ。
金銭ばかりはどうしようもない。
特に未成年であればほぼ運である。
勿論奨学金とか手段は沢山あるかもしれない。
しかし,金がかかるのは入学後の学費だけではない。
塾や参考書等々様々な部分で金はかかる。
某漫画であった。
受験は課金ゲーだと。
確かにその通りだ。
塾に通う,私立の名門校に通う等々…
どうしても有利に進めるためには金が要る。
最近は配信環境というものも整ってきて幾分かその差は埋まってきたのかもしれない。
ただ,大抵の下剋上ストーリーはこの”金銭”という部分をクリアしている事が多い。
まぁ,本人達は気づいているのかいないのかさっぱりわからないのではあるが…
3.2:結局地盤はある
下剋上ストーリーは大抵ストーリー開始前に築き上げた地盤がある。
これは才能の話をしているのではない。
”努力できる習慣”
”自己分析能力”
”強靭なメンタル”
等々様々な下剋上の勝因となるような地盤が備わったうえで成り立っている。
ここを踏まえると,実際は下剋上でもなんでもなくただ地道な努力の末に身に着けた勝因となりうる能力を応用した結果として,一般的にみれば短期間で大きな成果を得られただけな気がする。単純に大きな成果を目指す期間が短かっただけで,元々努力はしていたんだよということだ。
これは努力を否定しているわけではない。
そもそも下剋上なんて存在しないんだよ。
と言う意味である。
んな虫のいい話なんてあるわけないでしょ!!!
★この話は以前ブログに書き連ねていますので,よければどうぞ
4:下剋上はあるのか
こんなにこっぴどく下剋上に対して冷ややかな言葉を書き連ねたけど
決して無理だとは言っていない。
先ほどと矛盾するけれども,”下剋上”と言われる概念は存在する。
でも,一発では無理だ。
大学受験一発,就職活動一発,資格試験一発,
しかも短期間でなんてことはあり得ないに等しいというだけだ。
何年もかけて,失敗して,試行錯誤してもがき苦しみながら歩み続けてやっと,
ふっと見た時に”下剋上だね”,”逆転だね”と言える状態にたどり着く。
修行僧みたいなものだと思う。
勿論,日頃頑張っている人には到底及ばないところから始まる。
その分時間もかかる。
大人になっている分背負うもの,責任も大きいし周りからのダメージもある。
そんな中で人の百倍,千倍もがいて苦しんだ末に”逆転”という境地に至る。
それは最早逆転とは言えないし,下剋上とは言えない。
そういう意味でいけば,下剋上なんてものは存在しないのだ。
(意味が伝わっているかな…)
5:まとめ
下剋上が好きな理由の具体化と,実態,その存否をつらつら述べてきた。
特に4は文章化が凄く難しくて,結構悩んだ。
上手く伝わってくれると嬉しい。
次回は下剋上ビジネスに対する個人的な分析とその見解を述べていこうと思う。
かなり長くて読みにくいかもしれないが何卒よろしく。
ではまた。