Abit

自由になりたい学生の雑記ブログ

ミスコンとジェンダーレスと女子大

 先日東京女子大学がミスコンを廃止する旨を発表した。

理由は

 ①ジェンダーレスが主流になってきたから

 ②評価基準の殆どが容姿であり,ルッキズムを助長するから

 

といったものである。

まぁ,何とも「時代の流れに配慮しています!!」みたいな言い分だなぁと思う。

 

 

1:風向きが強くなるミスコン

 これはもう目にたこが出来るほどブログで書いているが,ミスコンは最近ちょっと当たりが強くなってきている。ルッキズムが段々と問題になってきているからだ。

大学側による廃止の要請やそのような催しを認めない声明を出すところも多く,その結果として”容姿以外も見る”とするコンテストに変更する,コンテスト自体の廃止をする等の措置が多く取られており,現在ではかつてのような盛り上がりはなく,ひっそりと身内ノリでやっているといったような感じになっている。

 

2:女子大でジェンダーレス????

 ミスコンがルッキズムを助長するという言い分はわかる。

ただ,ミスコンがジェンダーレスに反するという主張はちょっと意味がよくわからない。

 

 ジェンダーレスは生物学的性別に基づく社会的,文化的区別をなくそうというものであって,男女という2つの属性が同一集団に存在していて初めて成り立つ概念なのでは?

(間違っていたらごめんなさい)

それ言うならジェンダーフリーな気がする…

 

後いいますと…

 

ジェンダーレスいうのであれば

多分女子大として存続できなくなりますよ??

 

入学者を性別で限定することは,生物学的性別による社会的,文化的区別に該当するのではなかろうか。

 

となると,女子大もジェンダーレスの観点から見たら大分グレーだと思われる。

女子に適した教育を施すこと自体も生物学的性別による文化的,社会的区別に該当すると言えるので女子大という概念の存続自体がジェンダーレス思想によって崩されかけていると言っても過言ではない。

 

 ただ,普段は女子大を廃止しろとかジェンダーレスの観点から疑問視がなされることはあまりない。というのもやはり,”伝統がある”とか,”少数教育ならではの良さ”,”遊んでいなさそう”,”お嬢様で育ちがよさそう”というイメージもあることに加えてその存在が当たり前にありすぎること,本人が望んで受験し入学しているところもあってそこまで疑問の矛先が向かわないのだろう。

 

まだまだジェンダーレスの矛先は”強制されているもの”にしか向かっていないのだ。

 

まぁ,これから先矛先を向けられるとは思うだろうけどね。

 

ただ,ジェンダーレスというよりも,ジェンダー観への配慮と言いたかっただけなのかもしれない。それ言うならジェンダーフリー

 

3:おまけ🌟変わったミスコン,その現状

 ミスコンはあまり騒がれなくなった。

容姿を問いません!みたいなコンテストが代わりに増えたのだが,

正直あんまり変わっている印象がない。

そりゃそうだ。

 

投票制じゃ人々の意識が変わらない限り

ルッキズムは消滅しない。

 

うー-ん。

結局ミスコンは名称変更がなされただけでその本質は何も変わっていないという可能性が高い。

 

結局暗黙の了解として容姿が評価されるという評価基準のモグラ化が進むだけなのではないかなと思ってしまう。

 

まぁ,大々的に騒がれなくなっただけルッキズムの消滅には貢献しているのかもしれない。

 

 東京女子大学も”発信力”を評価基準にする新しいコンテストをやるみたいだけど二の舞にならなければいいね。

でも,正直コンテストの開催を譲れないのであればいっそのこと顔を隠し,完全匿名を絶対条件とした上でのコンテストにした方がいいのではなかろうかなぁ。

 

まぁ,頑張れ。

 

 

🌟ジェンダールッキズムを題材とした過去記事はこちら

unknownknow.hatenablog.com

unknownknow.hatenablog.com

unknownknow.hatenablog.com