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自由になりたい学生の雑記ブログ

夢からさめる時

 

ー目次ー

 

 昨年話題になった元AKB48岡田奈々氏のスキャンダル。これが発覚した時に,大量の破られたファングッズを「さようなら,たくさんの思い出よ」という言葉と共に発信したツイートが話題となった。

 その後,そのツイートはバズり,今またJ-castニュースに取り上げられることによって話題となっている。

 

www.j-cast.com

 

1:夢から冷める時

  本件ツイートを投稿した「けいすけ」さんは距離を置いた期間はあれど14年間AKBグループを押し続けた生粋のアイドルファンであった。それがなぜ,今このような形でファン人生に終止符を打ったのか。本人は記事でこのように振り返っていた。

 

アイドルと自分って別に交わるものでもないし、そもそも自分はなんでAKBとかアイドル自体を夢中になって追いかけ、自分の時間もお金もずっと費やして、何をやっているんだろうって。考え始めたら、分かんなくなってしまったんですよ。

 

 その結果,彼はアイドルファンという存在から脱しなければならないと思うようになり,退路を断つためにこのような投稿を行うに及んだようだ。いわば夢から冷めたのだ。

 

 夢中になっていたもの,あれだけ熱中して多くの金銭を費やしてきたものへの幻想がいきなり冷める。夢に亀裂が入り,冷静性を帯びた冷水をかけられたその情熱はこの時,潰えたのかもしれない。残ったのは冷静さだけ。そこを上手く処理する時間が彼にとっての「散歩」であり,決意表明が件の投稿であったのだろう。

 

あることがきっかけで

「あーなにやってんだろう。俺」となることはきっと多くの人が経験することである。

「100年の恋も冷める」は決して恋する者の専売特許ではない。

 

 このようにアイドルのスキャンダルを機に夢から覚めてファンを辞めるというのは多く観測され,これはもうオタクの登竜門と言っても過言ではない。これはアイドルや若手女優が恋愛を制限されていることと決して無関係ではないだろう。やはりこういうことはよくあることなのである。

 

2:夢から醒める時

 彼はこのグッズを破り捨てるという行為を経て自分を取り戻したと主張している。熱意が消えた時,自分の姿を予め客観的に見る事になったのだろう。いわば,snowのフィルターが取れて,自分の真の姿を見たようなものだ。アイドルに向ける情熱を失った彼は自己の事をこう表していた。

 

僕の周りでは、友達とかも結婚していくし、家庭があったり趣味があったりします。僕は、仕事は普通にやっているんですけど、家帰ってプライベートになると、アイドルとサッカーとか自宅の園芸ぐらいで、ほぼほぼアイドルファンですね。何も積み上げて来てないな、っていうことに当然気づきますよね。本当にそれでいいのかなっていう思いは、あんまり認めなかったんですけど、あったかもしれません。

 

 自分だけ何も積み上げていないと感じ,危機感を覚えた。きっと浦島太郎の気分であっただろう。周りが建設的に何かを積み上げている期間を自分はアイドルに費やして,何も成長していないと思ってしまったのかもしれない。

 彼はその後,自分磨きを頑張っているようだ。毎日,ダイエットの記録を残している。彼は前に進み,今度は自分の思う積み上げを行っていくのであろう。

そういった意味でいけば…

あの写真をビリビリに破いた行為は

アイドルファンであった彼の死と新たな彼の誕生の儀式であり,

新たなステップアップの一つに過ぎないのかもしれない。

 確かに物を大事にしない行為は褒められたことではないが,その行為によって新たに前に進めるのであればその物もまた一つ仕事を任せられたのではないだろうか。ある種彼は夢から醒め(覚醒),自己の思う道に舵を切り直した,それだけのことだったのかもしれない。

 

3:誰しも夢からさめるのだ

 諸行無常という言葉があるように,物事は常に移ろいゆくものである。誰しも,船から降ろされる時が来る。アイドルファンだってアイドルが引退すればその子のファンは辞めることになるし,「けいすけ」さんのように自分から降りる時が来るかもしれない。就職や結婚を機に距離を置く人もいる。これはなにも男性に限ったことではなく,女性も同様。ファンの形態としてガチ恋と言う存在がいるが,結局ガチ恋とはいってもその大部分は受験や就職,結婚や子育てを経て自分の人生を歩み,いつの間にかガチ恋ではなくなっている。ファンではあるかもしれないが,前程の熱量は持てなくなるし,金銭を使わなくなる。

 結局どんなファンも夢からさめて,自分の道を歩むのである。

そのきっかけは人による。でもその時は必ず来る。夢から冷めただけで終わるのか,さらに夢から醒めて舵を切るのかは人によって分かれるところであろうが,せめて夢から醒める(先述した死と再生)側でありたいと願うばかりである。

 

夢から醒めることは恐らく,過去の自分を受け入れることで成立する。

 

「なんて自分は愚かなことをしたんだ」と言う過去の自分を責める感情から脱却し,過去の自分を受け入れることで真に夢から醒めるのではないだろうか。夢から醒めるという経験をした時,それは過去を受け入れられて,新たな道に進むときではないだろうか。これはオタ活だけではない。過去の失敗やトラウマにも同様のことが言える。きっと,夢から醒めることは死と再生であり,新たな方針転換であり,決して怖いものではないのだろうと思う。